日曜日, 3月 02, 2008

高木ブーさんはウクレレ親善大使


先日、お客様と食事にでかけ、楽しい時間を過ごさせていただきました。異国でのご活躍お祈りしております。

さて、レストランの近くで、ウクレレフェスティバルという催しものを開催していました。ハワイのウクレレ著名人たちの無料演奏会です。ウクレレと言えば、やっぱり小生にとって、彼らがいくら本場、元祖、有名でも、高木ブーさんなのです。

「8時だよ全員集合!」で、アロハシャツを着てウクレレを持った雷おやじです。当時の小学校では、俺たちひょうきん族派と全員集合派に分かれていて、月曜の朝はお互いネタばらし抗争が勃発するのです。ひょうきん族派の言い草はいつも、「ドリフはいつもワンパターンだよ」です。「ワンパターンで笑いを取るのは、コントの基本だ」とドリフ派は反論するのです。ドリフは体当たりコントの先駆けだったのですね。

その会場で、そんなことを思い巡らして、「ウクレレと言えば高木ブーさんだよな~」とドリフターズの昭和黄金時代を鑑みていたら、噂によるとブーさんがその会場で出演するらしいのです、まったくの偶然です。

ブーさん出演予定のステージ横で、ブーさんを待っていると、遠くから歩いてくるではないですか、赤のアロハに赤のスニーカーそして白のパンツ姿です。一言だけ声をかけさせていただきました、「高木さん、こんにちは、がんばってください」。

ブーさんは、9曲を熱唱し、最後は「いい湯だな、ババンババン」で締めてくれました。この曲は、ウクレレとは関係ありませんが、昭和風俗史の中の代表の一曲です。その曲を、ブーさんがハワイの会場で演奏し続ける事はとっても意義があることではないでしょうか。

ウクレレの技術を語る必要はありません、技術的にうまい日本人はいっぱいいると思います、しかし、当時の日本の小学生にウクレレの存在を教え、かれらが大人になって、「ウクレレと言えば高木ブーさんだよな~」と言わせるブーさんの存在は大きいと思います。

日本はウクレレブームと聞いています、その点で、ブーさんは国内外のウクレレ親善大使なのではないでしょうか。

もし、上司のブログ掲載許可がおりましたら、次回は、昭和史のテレビ番組の雄、水曜スペシャル「川口浩探検隊シリーズ、二つ頭の蛇編」を語りたいと思います。